Purity of essence

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ブルシットジョブクソどうでもいい仕事の理論 第7章

労働者は失業者を寄生虫だのなんだのと反感を抱くし、失業者は雇用者に反感を抱くし、ブルシットジョブ従事者は生産的な労働者に反感を抱くし、生産的な仕事だが、報われない労働者は、数少ない有用かつ報酬のいい仕事を独占しているリベラルエリートに反感を抱く。中間管理職は有用な仕事をしているという理由で生産的な労働者に反感を抱く。このような妬み(道徳羨望)こそが生産性と報酬の反比例の元凶かもしれない。謙虚さは、自分は謙虚ではないと思っている人間への道徳的挑戦となることもある。

この道徳羨望は様々な形で表現される。移民が怠惰だと非難される一方で、生産的な仕事を独占しているという理由でも非難される。これは貧困者にも同じように表現される。つまり、働いていなければ怠惰、働いていれば(貧困だから、給料の少ない=生産的な仕事)有用だという羨望から非難される。銀行を救済する政策が非難されつつも撤回されなかった一方で、自動車製造にかかわる人間には社会保障や給料の面で「これ以上甘えるな」と叩かれる。「あいつらは車を作ってんだぞ!俺なんかクソどうでもいい書類を1日8時間作ってるんだ。あいつらは歯科検診を受けさせろだのバカンスをよこせだの、ストライキをちらつかせやがってふざけんな!」もはやよくわからん。

共和党支持者は教職員組合を非難するが、共和党が気に入らない部分を担っているのは教師ではなく管理者である。共和党支持者はその事実を知ってもなお、管理者を叩かず、教師を非難し続けている。

 

保守的な労働者階級はお偉方ではなく、リベラルエリートを嫌っている、理由は

・エリートは平凡な人々を間抜けの大群とみているから

・エリートは閉じたカーストを形成しており、中流以下の人間にとっては資本家よりも参入がさらに困難だから

である。

どちらもだいたい正しい。アメリカ人は自分が金持ちになるのは想像できるが、文化エリートになるのはかなり困難だからだ。リベラルエリートとは金以外の目的で活動しつつも大金を稼げる地位に組み込まれている存在であり、アメリカの貴族階級のようなものであり、平民には(金を稼いだり、資本家にはなれても)到底なれない存在なのである。そんな人々にとって社会貢献と金を両立する手っ取り早い手段は軍隊である。

米軍基地は各地で地域コミュニティへの貢献として無料で小学校の修繕などを行っているが、この奉仕プログラムに参加した兵士は大変満足しており再入隊の可能性も高い「これこそが人助けだ」ということらしい。彼らが平和部隊に入れなかったのは、平和部隊の入隊条件は大卒だから、である。米軍は不満を抱いた利他主義者の避難所なのだ。

 

ケアリング労働は数値化しにくいがゆえにロボット化が最も難しい分野になるだろう。

経済とは人間の相互形成のために必要な物質を供給するための組織づくりである。諸価値とは、価値を換算できないことが価値なのである。価値と諸価値の対立が根底にあると考えられる。そして、諸価値を価値に換算しようという試みが行われている。

アメリカ人の破産の2大理由は医療と学生ローンである。

 

諸価値、ケアリング労働をグローバル経済に組み入れることはさらに問題を悪化させるかもしれない。なぜなら前述のように価値を換算できないことが諸価値の価値なのだから。ケアリング労働の生産性を高めようという試みはほぼ確実に産業化や標準化に向かうだろうし、そうなったら規模の経済が働き、ケアリング労働の賃金はますます安くなるだろう。賃金の男女格差は減ったが、実際は男性の賃金が減っただけである。

インドでのベーシックインカム実験によると家庭内暴力が減った(家庭内暴力の原因は8割がた金の問題だから)同様に、職場の金銭的問題も解決する。ベーシックインカムは労働者に「辞めてやる!」という権利を与えるものである。

労働による生産物やサービスよりも労働そのものに価値があるというのなら、たとえ穴掘りと穴埋めという仕事でもロケットの設計でも株式トレーダーでもすべて価値はすべて同じ「労働」という価値であるのだから、一律給付という形態は妥当ではないだろうか?

ベーシックインカムは最低保障ではなく、労働と生活を切り離すことが究極的な目的である。すでに40%が自分の仕事に社会的意味がないと思っているのだから、一部のワーカホリックに任せておけば十分でしょう?労働から解放された人々がバカげたyoutuberやカルト扇動者になったとしてもすでに40%が無意味な仕事で精神的暴力にさらされているのだから、何も変わらないでしょう?

労働という制約がなくなり、自分の意思で何か有用だと思うことができるようになれば、今よりも労働の配分が非効率になることはないだろう。