Purity of essence

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ブルシットジョブクソどうでもいい仕事の理論 第6章

無意味であること、価値、効用、有用性それぞれについて、意見がバラバラであることが多い。絶対的な尺度などないからだ。労働の社会的価値と経済的価値がほぼ反比例しているという事実と、その事実を一般人が広く受け入れていることは、無意味なものには報酬を、社会のために働く人には罰をと言っているに等しい。なぜそうなってしまったのか?

労働の価値についての議論抜きで労働価値説は語れない。

マルクス主義にどっぷりつかった人間はブルシットジョブを否定する

どんな仕事をしていても利潤を生んでいる限り許されるのが資本主義だ、ということらしい

再生産という概念。

再生産のためにインフラ投資や教育は重要である。というロジックを資本家はしばしばあげ、現実にインフラや教育を支持しているが、これはフェアトレードや芸パレードを支持することはそうした被差別階級を再生産することと同じでもある。

価値(Value)と諸価値(Values)はしばしば別の意義でとらえられている。前者は金銭的、後者は非金銭的である。現金主義に対してたいていの宗教は物質的欲を否定し、施しをせよ、と説くが、これは物質的利己主義と理想的利他的を分断することに等しい、しかしそれは失敗している。

ブルシットジョブ従事者の証言をまとめると、社会的価値は富や物質の生産以外に社交性という概念が見えてくる。

ベルギーの541日にわたる無政府状態でも何の問題も起こらなかった。ウーバーの経営陣が辞任しても会社は問題なく運営されている。銀行がストライキを起こしても社会不安は怒らず、その一方で、ゴミ収集人がストライキを起こした時は10日で市は音を上げた。

仕事の社会的便益と経済的価値(報酬)が反比例する理由は倒錯した平等主義にあると推測する。仕事で生み出される付加価値よりも、仕事そのものに価値があるということであり、動機や諸効果は2の次なのである。

「仕事をよこせ」とデモを行う左翼と「そんなデモをする暇があるなら仕事を探せ」という右翼はコインの表裏である。なぜならどちらの意見も、

「仕事をすることは善であり、仕事をしないことは悪である」

というコンセンサスを前提にしているからである。左翼「(善である)仕事をよこせ」

右翼「仕事をしないお前は悪だ」と言っているのだから。

 

ドイツ系のプロテスタントの影響が強い地方ほど、自己目的化した仕事に身も心も捧げ重圧を感じていないといけない、というプレッシャーが強い。労働の真の価値が「できればやりたくないこと」だとするのなら、苦痛である仕事なら高報酬を受ける価値があり、逆に余暇を割いてでもやりたい仕事には報酬をもらう資格はない、ということになる。なんという倒錯だ。

近年はボランタリアート(ネットにあふれる無料の作品)を駆り集めている企業は多い。しりぬぐいの仕事はこの無料の生産物を商用に転用することで生まれている。エンジニアは余暇に無償でコア技術の開発に勤しみ、昼間はしりぬぐいの仕事をすることになる。これは企業のコア技術への投資を減衰させ、さらにしりぬぐいの仕事が増えていく。

 

神学的には仕事の核心的意味は

・仕事とは普通は進んでやりたいと思わないものである

・仕事とは仕事を超えた何かを達成することである

 

支払い労働の概念は北部ヨーロッパで生まれた。サービス(奉仕、奉公)は北部ヨーロッパ的概念である。中世では農民から貴族までほとんどの人間が誰かに奉公していた。貴族の御姫様ですら、さらに上位のマダムの侍女を行っていた。よって、中世の人々の結婚は意外と遅かった。家族を持てる資産や持参金を作るまで結婚できなかったのだ。

このような丁稚奉公的な文化をイタリア人は驚いていたらしい。地中海世界では労働は奴隷や女性がすることであり、労働することで知的活動を行う時間が減ることはむしろ悪とされた。

貴族は奉公に出た息子が財産を継ぐに値する人間かを見極めたらしい。ここで、労働と教育が同一視される。奉公により、マナーを身に着けるということだった。これはプロテスタントの労働倫理が生まれる以前の話である。

資本主義が生まれたおかげで徒弟、一人前、親方という序列が崩れ、親方になることができなくなる層が生まれた。そしてこれは結婚が不可能ということを意味していた。当然みなが反発したおかげで結婚年齢は大幅に下がった。16世紀にはそのことを嘆くピューリタンがいた。

プロレタリアートの語源は「子供を産む人々」である。古代ローマにおいて税金を払えない最貧困の市民は徴兵以外に役に立たない人々であった。

奉公=教育の場がなくなったことで、そうした人々に道徳を教え込む必要性が出てきた。新しい神学である。労働とは罰であると同時に贖罪である。こうして労働自体が価値を持つという概念が出来上がった。これはマックスウェーバーのカルヴィニズムと資本主義の勃興にライフサイクル奉仕という概念が加わったものだ。

ラッダイト運動やチャーティスト運動が労働価値説を受け入れなかった理由はまさに金持ちを金持ちに、権力者を権力者たらしめているものはまさに貧民の労働の成果だと気づいていたから

マルクス資本論を書く35年前には「労働が富の源泉という考えは危険である。この考えは労働力を持つ人がすべての富を得て、それ以外は盗みや詐欺であると考えている人たちに格好の口実を与えてしまうだろう」という意見があった。

意外と労働価値説はイギリスよりもアメリカで盛況だった。自らを富の生産者、ブリテンの支配者を略奪者と考えていたようである。

リンカーンはライフサイクル奉公の概念が、アメリカの発展のおかげで、復活したと述べていた。住み込みではない、という若干の違いはあれど。

アメリカの政治家たちはこれを理想化しており、当時は公共の便益を証明できない限り資本家になれなかったのだった。

労働価値説は生産に重きを置きすぎた。今も昔も労働者は製造業のような生産活動だけをしているのではなく、ゴミ収集や運転手などのケアリング労働をしてるのである。そして商品としてのケアリング労働には一方はケアするが、もう一方はケアしなくてもよいという非対称的な側面がある。労働を生産に限定しすぎてしまうと、ケアリング労働は労働者というカテゴリから外れてしまうのである。そしてケアリングとは本質的に何かを保守するということであるので、保守層との相性がいいのである。これがケアリング階級にいる人間がなかなか反乱を起こせない理由となっている。

墓石に肩書が刻まれることはないが、生きてる間は初対面の人間に「何の仕事をされているのですか?」と聞かれる社会である。何者か=職業が重要視される社会では自らの生に意味を与えてくれるのは仕事であり、失業は精神に破滅的な影響を及ぼすというのは一般的風潮として存在する。

それゆえに苦痛に満ちた仕事でも受け入れなければならない