サービス業、感情労働についている人間は、自分の仕事がブルシットジョブだという自覚を持つものは少数であった。このことはブルシットジョブの苦しみは、自分に何が求められているかがわからないという点にある。そのため、背負うものがないものほど、ブルシットジョブに耐え切れずに辞めていくがしかし、夢のため、家族のため、という自分なりの筋書きがある人間はブルシットジョブを続けることができる。
「どの口が権利を言うか論」というのがある。人に向かって権利があるなんて思いあがりやがって!という論である。
弱者に保護など補償するな(弱者に権利などないという意味?)というのが右翼バージョンで、己の特権を自覚せよ(特権など許さないぞという意味?)というのが左翼バージョン
今の世界中の若年層の人間は、たいてい上の世代ほど富裕な生活は送れないということが薄々気づいているが、自分にはもっと何かできるはずだというと、左右から容赦のない説教を聞かされることになる。
イギリスでの「どの口が権利を言うか論」の代表的なものは、福祉国家に生き、ゆりかごから墓場までの元に育った先行世代が、自分たちにも同じ生活を享受する権利があると考えている若者を嘲ることである。
ソーシャルメディアは別のことをしながら生産され消費されるめでぃあである。と著者は考えており、ブルシットジョブをするふりをしながらソーシャルメディアに没頭する人間はたっぷりいるということがソーシャルメディア台頭の要因ではないだろうか?と推測している