Purity of essence

文芸全般、主に映画と書評です

個人投資家は無理に複利を狙う必要ないんじゃないかな

という気分になった

もちろん複利が宇宙最恐の力であることに異論はないし、インデックス投資が最良であることも事実なのだが

 

例えば年利1.05%で50年投資したとして

単利では約3.5倍

複利では約10倍

になるのだが、問題は

 

・50年間年利5%を維持できるか?

・そもそも50年も超長期投資計画を立てられるか?

・積み立てならさらに累計リターンは下がる

 

という点

100万を50年間複利で運用して1000万にする

30年かけて1000万ため込み、その1000万を20年間単利で運用して2000万にする

どちらが堅実かはわからないが、結果論として後者のほうが投資期間は少なくなる。

 

投資期間が短ければそれだけリーマンショックのような大暴落をスキップできる可能性も高いのではないだろうか?

10年に1度、大暴落がおきるとすると、50年で4回、20年で2回経験することになるわけだが、果たしてどちらが資産を守れるだろうか…

人間はそもそも変化が嫌い

年を取ると変化が怖くなるというが、本当にそうだろうか?

そもそも人間そのものが変化を恐れる気質を持っているのではないだろうか?

たとえるなら、ガラケーからスマホに変わったことは変化であるが、そもそもガラケーを知らない10代から見たらこれは変化と言えるのだろうか?

彼らはガラケーからスマホに乗り換えるのではなく何もない状態からスマホが追加されるわけで、これは変化とは言わない、拡張とか成長というのが正しい

飴と鞭、ではなく、大量の飴と少量の飴

社会は飴と鞭で構成されている

しかし近代以前はともかく、現代では鞭が振るわれることはめったにない

ただ飴が減らされるのだ、しかも見えない形で

具体的には

 

こっそり内容が減らされる

こっそり品質がよろしくないものになっている

次の機会に呼ばれない、優先順位を下げられる

 

などなど

その事実をインターネットが垣間見せてくれると

不公平だという不満の声が強まってしまう

ソーカル事件の種は常に起きているのかもしれない

第二のソーカル事件といわれる不満研究事件、20本中7本が採用されたらしい

13本は却下されたわけだ

例えば今ここに第2、第3のソーカルたらんと捏造にいそしむ研究者がいるとして、論文をでっちあげたけど、却下された場合

「いやーソーカルになりたくて捏造した論文却下されてしまいましたわ」

なんて馬鹿正直に公表するはずないであろう

ということはつまり・・・

社会正義はいつも正しい

評判通り、すごい内容だった

適当にまとめると

 

・「理性」は西洋異性愛白人男性のものだから従う必要なし

・「科学」は権力者の都合のいいように構築されたものだから従う必要なし

・定義は定義されなかったものを周縁化する行為だからしてはいけない

・診断というのは診断するものとされるものができてしまい、そこに権力構造ができるから、自称でもいい

・差別があるかないか、ではなく差別は常に起きており、被差別者にどのような不利益を与えたかを考えろ

・問題に目を向けるのではなく、あらゆるものに問題があるのだから、あらゆるものに異議をとなえよ

 

だいたいこんな感じで話は進んでいく

SNS、被害者意識の共感ネットワーク

ヴィーガンLGBT、BLM、フェミニズム

これらがなぜほぼ同じ集団によって叫ばれているのか、それは被害者意識の共感な気がする

 

そしてそれを増幅するのがSNSのエコーチェンバー

 

エコーチェンバーとかフィルターバブルとか、SNSの閉鎖性、選択性、反響性はたびたび話題になるけど、反響してるのは情報だけじゃなくて、感情も反響されてるのだろう

いやむしろ情報じゃなくて感情だけが反響しているのかもしれない

情報はインターネットの性質上、きわめて正確に伝えることができるので増幅しない。誤った情報なら少しづつ修正され減衰されるだろうが

 

しかし感情ネットワークは増幅されるのだ