Purity of essence

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リベラルアーツが重要になりつつある理由

最近リベラルアーツの重要性に気付いた。

もちろんこれまでが重要でないというわけではないが、おそらくこれからはさらに重要になっていくだろう。というよりは、20世紀がリベラルアーツが軽視された特殊な時代だったんだと思う。

なぜリベラルアーツが重要になるかと言えば、社会の流れが速くなりすぎた、と言うことにつきる。

数百年前までは社会が変遷するまでに100年以上かかっており、その速度は人間の寿命よりもはるかに遅かった。社会の変遷が完了するころには旧社会の人間はほぼ死に絶え、新しい世代に入れ替わっていたであろう。

このような社会では新しいものを学ぶ必要性は薄かった。そもそも新しいものなどほとんどなかった。だからこそ古代から受け継がれる知恵と知識と技術=リベラルアーツが重要であった、というより、学ぶと言ったらほとんどリベラルアーツしかなかったし、そもそも、近代以前の人類はほとんどが農民であり、真剣に学ぶ人間もろくにいなかっただろう。

 

しかし、20世紀にこの構図に変化が起きる。科学革命と民主主義が広まった結果、爆発的に社会は発展し、新しい知恵と技術が次々と生まれ、とうとう社会の変遷の長さと人間の寿命の長さが等しくなってしまった。このような社会では新しいものを次々と学んでいかなければならないかもしれないが、だからと言って新しく登場した技術や思想がすぐに陳腐化するわけではなく、身に着けた知恵は、少なくとも半世紀つまり、成人の現役期間くらいは最新技術として通じるくらいの寿命はあったはずだ。だから陳腐化の心配などする必要なく学問を収めることができた。陳腐化するころにはその人物はとっくに引退していたから。

 

そして21世紀、とうとう社会の変化が10年単位になりつつある。もはや10代で身に着けたスキルで生涯食っていくことはほぼ不可能だろう。

そこで頼るのは結局、変わらないもの、古代から受け継がれる知恵と知識と技術=リベラルアーツということになる。

 

今後、専門バカには厳しい時代になるかもしれないが(ノーベル賞やオリンピックメダリストになれるならともかく)、社会の潮流に乗ることができればチャンスもある。社会が10年単位で変遷するのならば、自分の専門分野が社会の潮流に大ヒット、とまではいかなくても、掠るくらいのことはそう低くない確率で起こりえるだろう。その時必要なのは得意分野と社会の潮流をうまく繋ぐこと。

アップル社はリベラルアーツとテクノロジーの交差点だと自称しているらしい。

リベラルアーツの密度はその定義から言ってそう変わらないはずだから、交差点を増やすためにはテクノロジーを伸ばすしかない、問題は伸ばし方だ。伸ばす指針はリベラルアーツが教えてくれるのかもしれない。