Purity of essence

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ブルシットジョブクソどうでもいい仕事の理論 第5章

ブルシットジョブの増殖の元凶は3つの次元で考えることができる

 

・個人的な元凶

なぜ人々はブルシットジョブを行い、耐えているのか?

・社会、経済的元凶

なぜ社会や経済はブルシットジョブを増殖させているのか?

・文化、政治的元凶

なぜブルシットジョブが社会問題とみなされないのか?なぜ誰も対応しようとしないのか

 

近年の雇用口の増加分はほとんどがサービス業だが、昔ながらのサービス業はほとんど伸びておらず、増えているのは行政官、コンサルタント、事務員、会計スタッフ、IT専門家などだという。ようするに生産やサービスではなく、投機による利潤で増えただけである。

金融や保険部門についてオバマ元大統領は「それらが非効率であること」をほぼ認めたものの、それらで働く人たちの雇用として存在は肯定されるべきだと述べていた。

イギリス人の3分の2が死刑復活に賛成なのに、それを主張する政党はいない、このように、政府当局と国民の望みはあまり一致しない。

シカゴ学派のような人間は市場が無用なものなど作るはずがないという視点と、さらにすごい理論「万能な市場が作り出した仕事なら何らかの意味があるのだ」まで主張している。その裏付けとして複雑化する社会と産業構造に対抗するために事務処理作業の増大は仕方がないことだとのこと(これもある意味、倒錯した自由主義なのだろう)

私立大学と公立大学では、私立大学のほうが事務員が多い。絶えず経費削減を求められる公共施設と、予算を自由に使える私立では後者の方が非効率が多い、というわけだ。

銀行は社会貢献という名目でボラントールド(ボランティアとトールド(言われた)の造語)に行員を借り出している。(おそらくこれは自分たちが無用な存在だという事実を払しょくするためのポーズだろう)

最悪のブルシットワーカーはデーター分析家とのこと。都合の良いデータを集めて綺麗に並べて、上司に報告するだけの仕事、そしてその上司はさらに上司に綺麗な資料(ゴミでできたお城)を見せて自分たちの惨めさを和らげている。それらの上司は、マイノリティとして雇われているお飾り管理職であることが多い。

これらの仕事は取り巻き(フランキー)が源流にあると思われる。このように現代は封建制に近い構図になっている。

 

資本主義の理想とは(そして正統マルクス主義の宿敵としての資本主義は)できるだけ少数の労働者に低い賃金で働かせることであり、余分な労働者など雇うことは絶対にない、しかし現実にはこうなっていない。取り巻きとは再配分でもあるからだ。たとえ脅し取った金でも、威厳のために雇っているだけの取り巻きに適当な仕事を与えることは再配分と言える。現代でも似たようなことは起きており、金融業の利益の3分の2は手数料や違約金からなっており、金融における取引とは他者の負債の取引のことである。つまり負債の取引手数料が主な収入源である。ゼネラルモーターは車の売上ではなく、自動車ローンが主な収入源である。

 

フランスのエレファントティー工場では、合併と企業買収の時代に工場は実質的に放置されていた。しかし、労働者は少しづつ生産設備の改良を続け、生産性を高めていた。そして一昔前は生産性が上がったことで得られた利益は労働者に還元されたが、80年代ごろから、その金を還元するのではなくホワイトカラーの人間を雇うようになってきた。これが労働者のやる気や愛社精神や忠誠心を削ぎ、やる気のなくなった労働者を監視するためにマネージャー職を雇うという悪循環が起きている

 

クリエイティブ業界では〇〇プロデューサーとコミショナーという職がどんどん増えており、クリエイターは創造よりも、彼らを納得させるための技術を磨かざるを得なくなっている。何とかプロデューサーは責任を取りたがらないから、強く反対することはない反面、成功した時には名前を売るために積極的に作品に口出しするという。

映画がどんどんつまらなくなっているのは、コミッショナーが口出して変なセリフを入れたりするせいではないかという推測すら成り立つ。

こうして失敗作としてすら残らないお蔵入り作品が大量にあふれている

ヨーロッパの大学は通る見込みのない助成金申請に14億ユーロを費やしている。著者は科学の停滞もここにあるのではないかと推測している。つまり、多くの研究者が、研究内容ではなく、「成果が上がる見込みがある」という証拠探しとプレゼン資料の作成に金と時間を費やしていることが科学の停滞の元凶ではないか?と

 

ブルシットジョブの増殖が資本主義的でないこと。現実にブルシットジョブが増殖していること。この2点から帰結されることは現代はアダムスミスやマルクスが考えたような資本主義ではない、ということになる