Purity of essence

文芸全般、主に映画と書評です

ヒューマンネットワーク(マシュー・ジャクソン)メモ3

第7章群衆は賢くもなり愚かにもなり

ゴルトンの家禽品評会の話、多様性、独立性(バイアスがないこと)、集約性の3つが挙げられている。様々な批判はあるものの予測市場(群衆の知恵)はたびたび話題に上る。集団が熟慮するときにはネットワーク内を情報が駆け回るようなもので、スモールワールド性のあるネットワークでは2,3回の反復で大半に情報が届いてしまう。周囲の人間と意見を平均化していく学習方法はモリス・デグルートにちなみ、デグルートラーニングと呼ばれる。この時は固有ベクトル中心性が重要になる。この時に入り込むバイアスは自分の意見が回ってくるエコー、情報が重複してしまうダブルカウンティングがある。この二つは同時に発生することもある。これらを取り除くためにはネットワークを完全にコントロールした状態でどうやって情報が流れるかを調べてみること。どれくらいエコーとダブルカウンティングが行われたかを調べてその影響がどれくらいかを調べてみる。

中央集中型ネットワークはバイアスがかかりやすい。これはグラッドウェルの少数者の法則そのものである。フェイクニュースが広がってしまう理由も同様だと思われる。発信の場は増えているのに、責任ある報道は減っているという現実。

社会的学習ネットワークの健全性を損なわせるうえでもっとも大物なのが同類性である。

移民政策について不法移民と言うか不法就労者と言うか、税の減免について、税制改革と言うか、富裕層のための優遇税制措置と言うか、などのテキスト分析でその人の政治傾向を調べることができる。1990年まではその結果はほとんど当てはまらなかったが、最近では1分の演説を調べるだけで高い正答率を示すようになった。

現在のアメリカでは法案の賛否傾向がほぼ分断されているようになった。利害が一致しない同類性の強い集団同士が議論することで多くの国の政府が機能不全に陥っている。伝染病のように広がるミームもあるが、同類同士でつながったネットワーク内では、同類内での少数派な意見はなかなか広がらないため、同類性が伝搬を妨げるように、同類性が学習を妨げる。

テクノロジー集合知を活かせる環境も提供するが、同時に妨げる環境も増やしている。

 

第8章友達と身近なネットワークの構造

人間は身近な人間の影響を受ける。あるプログラムに参加を促す文に「〇〇人が参加を決断しました」と付け加えるだけで参加者が増えた実験がある。しかしここでも同類性が詳細な調査を妨害している。同じように行動する理由は、他人に影響を受けたからなのか、それとも、そもそも同類性により、同じような行動を起こす人間同士で固まっているだけなのか?

知を学ぶ方法には3つの方法がある。高貴な反省、たやすい模倣、苦い経験(孔子

当然、悪い影響も受けるし、情報の外部性により、自身の情報は無視して、集団に従ってしまうから、少し悪い方向に先導されればあっという間に広がってしまう懸念もある。

自分の行動と周囲の行動を一致させるとゲーム理論でいう複数均衡と言う安定した状態に陥る。いまだにタイプライター時代のQWERT配列を使っているのがいい例。

これは学習ではなく、模倣が原因である。

汚職(犯罪?)は反社会的行為ではなく、実はむしろ社会的行為である。なぜなら周りの人が秩序を軽んじていれば、自分も犯罪を犯す可能性は高くなるから。ここでも同類性が重要なファクターとなっている。

クラスタリングについて。現代人の人間のクラスタリング係数は、インドの農村のような濃密な集団と比較すると、極めて低い。クラスタリングは信頼とサポートにも関係がある。監視役をつけることで貯金額をあげた実験がある。監視役がネットワーク内のどのような位置にいるかでもさらに変わる。

中国ではこのような社会関係資本はグアンシ、と呼ばれる。中国でのビジネスはコネが重要なのだ。科学界でも同郷のコネが確認されている。しかしコネは負の側面もある。

身近な他人を見れば当人もどういう人間かが推測されてしまう。フェイスブックのデータを用いて、特定の二人が夫婦かどうかを判定する実験がそれなりの成績を収めた。

何回かの働きかけや交流がないと取り入れられないような行動が拡散するかどうかは局所的な補強(クラスタリング)が強く影響する(大域的構造は個人ではどうにもならないが、局所的構造は個人で何とかなる、とどこかで聞いた気がする)

信頼のネットワークがあれば伝わりにくい情報も伝わりやすくなるだろう。信頼と言うしがらみもあるが。

 

第9章グローバリゼーションと変化するネットワーク

接続性は巨大な平衡装置。市場価格はあっという間に世界中に伝搬し均一価格となる。ネットワークがどう形成されるかを把握しておくことで、ネットワークが個人に与える影響も理解できるようになるだろう。個人はネットワークをよくするために関係を構築しているわけではない。時には個人と集団の利益が衝突する。関係構築が容易になったことで起こりうる影響は良いものも悪いものある。

良いものの例としては戦争と平和がある。国家間の貿易関係が複雑になったことで、経済の結びつきが強い国家同士は戦争できなくなった。20世紀後半で貿易は取引相手の数や取引量が指数関数的に増えている。それに呼応して戦争回数が減っている。

 

グローバル化とは自分の考えを見直し、ほかの国や文化をの考え方に目を向け、それらに対して自分を開くということだ、普通の人にとっては楽しいことじゃない(ハービー・ハンコック

 

都市化はどんどん進んでおり、都市化された街に住む人の数は増加の一路である。都市と農村ではネットワーク構造が異なるので、都市化が進むと農村の規範や文化が破壊される。マイクロファイナンスを導入した村では明らかにネットワーク密度が減少した。一部の人たちにとっては、都市化の恩恵より、社会関係資本の喪失のほうが大きいだろう。